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   日米「CONN」対談 1994年パイパースの原稿から!

NYフィル・ホルンセクションと”コーン”の伝統を語る

ニューヨークフィル首席ホルン奏者フイリツプ・マイア一ス 

  VS 山本真(NHK交響楽団ホルン奏者) (通訳 金丸智子)

  やまもと・まこと■NHK交響楽団ホルン奏者。1948年広島生まれ。東京芸大3年在学時から日本フィルで活躍し、卒業後正団員。同団分裂後にNHK交響楽団に移り、現在にいたる。N響の「不動」の2番ホルン奏者としてオーケストラテクニックには定評がある。聖徳大学音楽文化学科助教授。武蔵野音大講師。

フィリップ・マイアース■ニューヨークフィル首席ホルン奏者。インディアナ州エルクハート生まれ。1971年アトランティック交響楽団に首席として入団、74-77年ピッツバーグ交響楽団在籍、79年ミネソタ管弦楽団でソロデビュー、80年から現職。

豊かで太いニューヨークフィル・ホルンセクションのサウンドは何時、どのように生まれたのか?
チェンバース、シンガーなど往年の名手のドもエピソードもまじえて語り合う「楽器と人」の興味尽きない話。


山本 じつは、マイアースさんのレッスンを受講した弟子に「ぜひ聞いて来て欲しい」と言われたことが二つあって、一つは、お歳。
マイアース 何才に見えます?
山本 ----45才ぐらい?
マイアース ズバリです(笑)。もう一つは?
山本 ええっと、これは後でお聞きした方がいいかも(笑)。まずホルンの話から始めないと---
  僕がニューヨークフィルを初めて聴いたのは、大学2年の時。ニューヨークのセントラルパークで。もう27年前ですね、
マイアース 実は、私もほぼ同じころです。忘れもしない、フランクの二短調シンフォニーでした。1番ホルンは.ジョゼフ・シンガー。2楽章に難しいソロがありますね。本番前、シンガーはそこを何度も何度もさらっていた。それが、ことごとくミスる(笑)。「だいじょうぶかなあ?」と思ってたら、本番は。パーフェクトでした。そのすぐ後に私はシンガーのレッスンを受けたんです。よせばいいのに、その時のことを先生に話した。「あの時は心配しました」って(笑)。とたん彼は撫然として、「何のことだ?誰かほかの人間だろう」(笑)。
山本 逆鱗に触れた(笑)。
マイアース そう、私もバカだった(笑)。80年にNYフィルに入り、先輩にその話をすると、「シンガーはあの曲が苦手だったんだよ」と。

「ソロイスティック」がNYフィルのスタイル」

マイアース 山本さんは、当時のNYフィルと、今のNYフィルを聴き比べてどう思います?
山本 ホルンのジェーム.ス・チェンバースなどを聴くと、やはりオールドスタイルは否めない。F管を多用した、いかにもホルンらしい素朴な音ですよね。
  現在のNYフィルは、先日のサントリーホールでのマーラーもそうだったけど、もっと深みのある音で、もっと繊細で、音楽的な表現がそのまま音に現れている。一言でいって音楽的に素晴らしいと思います。
  往年のNYフィルは、チェンバース、バッキャーノ(Tp)、ドラッカー(Cl)--そういったすごいソリストたちの個性が光り、オーケストラももっと粗削りで、まとまりに欠ける。逆にそれが魅力だったと思いますけど。
マイアース われわれも、クルト・マズアが来るまではもっと「ソロイスト」的に演奏していたんですよ。めいめい自分の責任において「好き勝手に」演奏する、というのがNYフィルのスタイル。ところが、マズアはそれを見て怒った(笑)。リハーサルで言われたことを、本番で実行しないんですから(笑)。今回の日本公演てもそうだったけど、本番の最中、棒を振りながら彼はよく怒鳴るんです。それが客席にも聞こえる(笑)。我々も人前で怒鳴られるのはみっともないので、そろそろ少しは考え直してみようかと(笑)。
山本 ハハハ。しかし、ホルン吹きとして聴くと、そんな演奏の方が勉強になりますね。昔のレコードを聴いても、セクションの下の音が不自然によく聞こえてきたり、バランス的には首をかしげても、面白さ、タメになる、ということではそっちの方が。
マイアース 山本さんが聴いたNYフィルのレコードは、私もほとんど聴いていると思いますよ。そう言えばこんなこともあった。ピッツ.ハーグの学生時代、シンガーがNYフィルでブリテンのセレナーデを吹くというんで、仲間3人とNYまで車を飛ばしたんです。ひどい嵐の日で、7時間で着くはずが13時間もかかってしまい、開演ギリギリに飛び込んだ。ところが、予定されていたテナーのヒーター・ピアースが心臓発作で、ブリテンは中止。急速ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番に変更された。もう、3人で怒りまくってね(笑)。ピアノはコンクールで優勝したばかりの若いギャリック・オールソン。見ると、ホルンの1番にシンガーが座っている。演奏が始まって驚いた。ピアノよりも大きくシンガーが吹きまくるわけ。「ああ、彼も怒ってるんだな」って(笑)。
山本 ワハハハ。

コーン8DとNYフィル

山本 シンガーはもちろん、その前のチェンバースもコーン8Dを愛用していたわけですが、NYフィルのこのコーンの伝統というのは何時ごろから始まるわけですか?
マイアース チェンバースは1946年にNYフィルに入ったんです。彼の師匠はフィラデルフィア管弦楽団の1番だったホーナーという人。30-40年代に活躍した人です。ホーナーの弟子には、もう一人メイソン・ジョーンズがいます。ジョーンズはフィラデルフィア管の1番になったけれど、第2次世界大戦で戦争に取られ、この間、チェンバースが代わりに1番をつとめた。が、終戦を迎えてジョーンズが復員した。アメリカでは、復員兵は法律で元の職場が保証されます。このため、ジョーンズが再びフィラデルフィアの1番に戻り、職を失ったチェンバースはNYフィルに入った。NYフィルのホルンのサウンドの伝統、すなわち「大きな音」「ダークサウンド(編集部注=豊かで響きの太い音)」などの基礎は、実はチェン.バースが築いたんです。チェンバースの前の首席、ヤネッキーはコーンではなく、音は美しいけれど、より軽いサウンドを出していました。1946年に、チェンバースによって現在のNYフィルのホルンのサウンドがつくられたわけです。
チェンバースは、師匠のホーナーよりも大きなサウンドで、ドラマチックな演奏をしました。私がNYフィルに入ったとき、チェンバースはパーソナルマネジャーだった。彼に、「あれほどドラマチックなイメージはどこから来たんですか?」と聞いてみた。ホーナーのレコードを聴いても、彼ほどドラマチックじゃなかったですからね。すると彼は、「先生が言ったとおりにやろうとしただけだ」と言うんです(笑)。
山本 マイアースさんは、NYフィルに入られる前からコーン8Dを?
マイアース カレッジで先生に「コーンを吹け」と言われて以来…有無を言わさずという感じでね(笑)。スタントレイという、デール・クレベンジャー(元シカゴ響)の先生だった人です。非常に厳しかった。
山本 それ以前は?
マイアース 私はインディアナ州エルクハートという、アメリカの管楽器産業の中心地で育ったので、最初からいろんな楽器が選べた。レイノルズ、オールズ、コーン…。13才のとき、バンドディレクターだった父が私を楽器店に連れて行き、どれでもいいから一本選べ、と言う。目の前には11種類の楽器があった。わけも分からずに選んだのが、レイノルズの「チェンバース・モデル」という楽器。どうしてそんな楽器を選んだんだか。まだガキだったから(笑)。
  15才になって、今度はシカゴ響の人に習い、レッスンで彼は「ホルトンにしたら?」と言うんです。「自分の楽器を譲ってあげてもいいし、新しいのを買ってもいいよ」と。今考えれば、先生が吹き込んだ楽器を譲ってもらった方がいいに決まっているのに、若かったんだね、「新しいのを買います!」と言っちゃった(笑)。その後、大学に入ったら、今度はコーンを吹け」でしょ(笑)。
山本 楽器を変えることに違和感はなかった?
マイアース 大学に入るまでは、シカゴ響の「ライト(Light)」スタイルで吹いてましたね。重くないサウンドです。ガラっと変わったのは、大学2年のとき、クリーブランド響のマイロン・ブルームのレッスンを受けてから。ノーモア・ライト!(笑)ダーク、ダーク&ヘビー! 大きなマウスピースを使い、もっともっと息の量を使って…
この頃からNYフィルのレコードを熱心に聴き出して、自分の頭の中のサウンドイメージを変えるようにつとめた。
山本 僕は、それまでアレキサンダーを吹いていたんだけど、レコードで聴くチェンバースの音が好きだった。決定的だったのは、やはり、セントラルパークで生のNYフィルを聴いたときです。もうビックリした。すぐにNYフィル(の人だったと思うけど)のボブ・ジョンソンという人にコーンを選んでもらった。以来ずっとコーン8Dを吹き続けて、NYフィルのレコードもほとんど買ってます(笑)。

NEWコーンの魅力


マイアース 日本はアメリカほどコーンが普及していないと聞いてます。今度のクリニック&コンサート(ネロ楽器主催/6月28日石橋エオリアンホール)が、何かのきっかけになると思います?
山本 なると思いますね。一時、コーンは「きつい」という評価が定着しかけたことがあるけれど……
マイアース 全然きつくない!
山本 そう。新しいコーンはオールドよりもきつくないですね。でも、僕らが言うよりも、実際にああやってNYフィルのセクションの唖然とさせられるようなサウンドを聞かされると、学生たちには大変な刺激になります。日本はまだどちらかと言うと、アレキサンダーに代表されるヨーロッパ系の楽器が多い。
マイアース 私もアレキを1本持っているけれど、コーンは6本持っている(笑)。アメリカのオーケストラでは70%がコーンというデータがあります。魅力の一つは、音色の変化が自由につけられること。二つめは、まるでピアノのキーを叩くように。パッパッと音をとれること。その上に強いサウンドが得られる。三つめは、フルスケールを吹いた場合、下の音域にいくほど音を強く吹けること。セクションのバランスでも、下の音ほど強く鳴って欲しいときに、強く吹けない楽器が多い。コーンは下の音域がしっかりと鳴る。
山本 やっぱり低音が鳴る楽器なんだ、コーンは。コーンはホルンでもトロンボーンでも「オールド」を探す人が必ずいて、この点アメリカではどうですか?
マイアース 私もオールド・コーンを持ってますが、仕事では使いませんね。NYではオールド・コーンが沢山売られています。「売れる」と思ってみんなNYに売りに来るんです。そんな楽器を沢山目にしているけど、ニュー・コーンの方が断然いい。
山本 私も先日、ニュー・コーンを2本貫いましたけどね。
マイアース もともとコーンはエルクハートで作られました。その後、工場がテキサスに移り、その時代のコーンを見るとやけに重い。ベルなんて、このテーブル板よりも厚いくらい(笑)。6年前からクリーブランドで作られるようになって非常に優れた品質に戻りましたね。オールドよりもさらに良くなったと思う。例えばベルの厚さを5段階で比べると、エルクハート時代のコーンはー、テキサス時代は5!(笑)。現在は2といったところでしょうか。ベルの厚さも今はいろいろ揃っている。
山本 ニュー・コーンを見ると、ベルの継ぎ目がオールドよりかなり下にあると思いますけど?
マイアース おそらく、継ぎ目の位置はあまり影響がない。やはりベルの肉厚が大きく影響すると思います。音のレスポンスに関係しますから。ニュー・コーンのレスポンスは、小さなサイズの楽器を吹くように非常にクリアです。今までコーンを吹いたことのない人たちが使い始めた最大の理由は、ここにあると思う。ディスカントはほとんど使わない。
山本 マイアースさんは、オケでディスカントホルンを使われますか?
マイアース いやそれほど。年に2回ぐらいかな。
山本 モーツァルトやハイドンに?
マイアース いえ、マーラーや、わけの分からない現代曲などで。
山本 モーツァルトやハイドンのハイトーンはコーンで?
マイアース ええ。これまでのところは(笑)。年をとった時のためにディスカントはとっておきたい(笑)。そう言えば、コーンも今年、ディスカントホルンを開発しましたね。
山本 ほお-?
マイアース 4月にシューマンのコンチェルト・シュトゥックをこれで試したけどすごく良い楽器だった。つい2ヶ月前、カンザスシティで開かれたホルン・コンベンションにも並んでました。コンベンションは行かれたことがある?
山本 ミュンヘンは行ったけれど、なにしろオケ(N響)が忙しくて。
マイアース アメリカのオーケストラは、わりと簡単に休暇が取れます。夏に8週間、首席は年にさらに7週間の休みがもらえる。
山本 うらやましい!
マイアース この対談記事をN響の理事長に見せたら?(笑)
山本 (笑)オーケストラ以外にソロや室内楽なども?
マイアース いえ、コンチェルトと室内楽が年にそれぞれ3-4回ていど。
山本 今回のようなホルンアンサンブルは、ふだんはあまり?
マイアース アンサンブルは今年始めたばかりです。セクションの顔ぶれが比較的新しいものですから。
山本 マイアースさんご自身のソロアルバムなどは?
マイアース ウィリアム・シューマンのコンチェルトを入れた1枚がありますが、今はもう廃盤。先日、名古屋公演でファンの一人が手にしているのを見てビツクリしました。
山本 最後に一つ、お聞きしていいですか? 聞き忘れていた例の質問ですけど。体重は何キログラム?
マイアース キログラム換算で「425」ポンドは何キロ?
山本 425ポンドですか(愛用の電子手帳で計算を始める)---オッ、なんと192?L!
マイアース 192キログラム?それって重いですか?(笑)
一同(大爆笑)

NEWコーンのレスポンスは小さなサイズの楽器を吹くようにクリア。それが現在のコーン人気の最大の理由だと思う。

今につづくNYフィルホルンの豊かなサウンドの伝統は、1946年に入団した首席のチェンバースが築きあげたもの。

東京公演の合間をぬって実現したマイアース氏のクリニック&コンサートから(ネロ楽器主催)。マイアース氏以下NYフイルの5人のセクション全員が出演するどいう豪華さ!その演奏がまたド肝を抜く素晴らしさで、ヨーロッパ系のアンサンブルを聴き慣れた耳には、そのスケールの大きさ、音の豊かさは圧倒的だった。下は中央マイアース、真ん中左がエリック・ラルスキ、右がアレン・スパンジャー、後ろ左がジェローム・アシュビイ、右がハワード・ウォールの各氏

 
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